少年野球指導者になったきっかけ
たかだか10年の指導暦ですが、私が何で少年野球にたずさわるようになったのかが、今となって不思議でなりません。私には野球経験がありません。ただ単にプロ野球観戦が好きなだけでした。(私は小学生から今の横浜ベイスターズ、昔の大洋ホエールズのファンでした。)
私は長男(現高1)が小学1年生になった頃に、縁があってレッドファイヤーズにお世話になりました。私自身学生時代硬式テニス部でしたが、息子には野球をやらせたい、という漠然とした思いがありました。よって小学校に入学したら、すぐに地元の野球チームに入れようと思っていたのです。しかし、当時インターネットの普及もそこそこでしたので、なかなか近くにどういうチームがあるのかわかりませんでした。4月の入学式も終わり、さあどうしたものか、と思っていた時に、ポストにレッドファイヤーズからの体験入団のお知らせが入っていたのがレッドファイヤーズとの出会いの始まりでした。早速週末に長男の手を引っ張って三輪小まで行き、練習風景を鉄棒の後ろで見守っていたものです。その時は、連れていった責任感からただ見ていただけであり、まさか指導者としてレッドファイヤーズに関係するとは夢にも思っていませんでした。結局2週程度体験させていただき入団申し込みをしたのですが、いかんせん長男は小1でしたので練習の送り迎えがてら、私はずっと練習風景を見ている日が1ヶ月程続きました。そんなある日。打撃練習での守備のためファーストについてほしい、とあるコーチに言われたのです。それが私の指導者としての第1歩です。あとはズルズルと練習のお手伝いをしているうちに、ユニフォームが届き、気づくと審判講習会にも出席して、試合の審判までやっていました。まったくの素人が、気づくと指導者になっていたのです。まさに若気の至り。(当時私は31歳でしたから)でも、ここからが苦労の連続です。審判をやると言っても、野球のルールを知らないのです。当時のチームは野球経験者の指導者がたくさんいましたので、素人の私が何でチームに貢献したらいいかを考えた結果、勉強して面倒な審判を引き受けることが私の立ち位置だと考えたのでした。審判講習会で怒鳴られ、試合でも他球団の指導者から罵倒され、本当に悔しい思いをしました。審判では本当に苦労しました。苦労話は後日披露したいと思います。
指導者になったきっかけは、結局まわりからの囲い込みすなわちいきおいでした。体育会系育ちの私が勝手に刺激されて、気づいたらユニフォームを着ていたのです。今やRFも以前と比べてユニフォームを着ている指導者の数が増えてきました。(10年前の3倍くらいはいるでしょう)親子で週末同じ目的で一緒に頑張る。かつ地域貢献もしている。素晴らしい事だと思います。RF指導者としての活動は、平日での仕事における苦労を癒してくれます。私は、今になって思います。初心忘れるべからず。私自身偉そうなことは言えません。監督としてもたくさん失敗しました。失敗を振り返ると、初心を忘れている事が多いのです。是非、「何で自分は指導者をやっているのかな」と時々は振りかえることをお奨めします。そうすると、悩んでいる事の解決の糸口が見えてくるものです。少年野球は選手だけでなく指導者も成長させてくれます。
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